Nyan’s Four

4ニャンとの暮らし

突然のお別れ

良く吐く仔だったのでその朝もあまり気に留めていませんでした。
早食い癖かと思い食器を工夫していましたが、食後未消化のゴハンを吐く事は珍しくなかったのです。
その日は泡状の物をほんの少量、一瞬おや? と思ったのですが、吐き続ける様子はなく、いつものちょっと挙動不審な素振りで私の目の前から立ち去りました。
洗濯物を2Fに干しに行った時の出来事でした。


その前日は、このパソコンの前の出窓で春めいてきた陽射しを浴びてスヤスヤ眠り、陽が陰る頃、私の視線に気づきやはり少々挙動不審に窓辺から立ち去りました。


世の中は、新型ウイルスの猛威に曝され不要不急の外出を避けての自粛生活が続いています。
それでも夫は通常通りに出勤し、娘はヘルパー、訪問リハビリを利用し、孫の保育園はできるだけ休園し実家で過ごすと言う生活、そんな生活ではありますが、いつもと変わりない毎日が続くと思っていました。


19日土曜の夜、孫の就寝時間になり2Fへ上がった娘と孫、モカが体調悪そうだよ! の声に駆けつけると、おとんの部屋の入り口で香箱座りの姿勢のまま声かけにも動けず、バランスを崩すとそのままコロンと倒れる状態。
どうしたんだ! 夜間救急とも考えたけれど、いつもの動物病院が朝9時から診療しているのを確かめて、この日はそのまま おとんの部屋で一晩過ごしました。


翌日9時診療開始のところ9時15分位に病院に到着したのですが、既に6名が待っているとの事で車中で待機、1時間程待つかもと言われましたが、30~40分程度で呼ばれました。


昨日朝からの様子を伝えましたが、「眼瞼のくぼみ」と体重減少を獣医さんから告げられ、今起こった事ではなかったんだ... とモカに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
採血データーは散々な結果でした。
脱水が著明な電解質データー、腎機能もこれ以上の数字が表示できないと言う値。
できるだけの治療をしましょうと入院点滴と毎日通院で皮下注射の2つの治療を提案され、入院をお願いしました。


月曜朝、病院から電話... データーの改善なく容態も悪化していくだろうと。
であれば自宅で過ごした方が良いでしょうと告げられました。
元々娘の耳鼻科受診日であり、通り道だったので受診帰りに面会の予定をしていましたが、受診前に会いに行きました。
娘が声をかけ前足に触るとその足を動かし反応してくれます。


獣医さんから昨日入院した日の夕方頃はゲージの中を自由に動き、飲水もできたので望みがあると思ったそうですが、夜中の2時頃に動けていない事に気づき、水も飲込めず口から溢れて来る状態だった事と電話連絡で聞いた採血データーの説明を改めて受け、娘の受診後モカの寝床を整え午後3時に迎えに行く事にしました。
時間ぎりぎりまでやれることをします。
獣医さんの言葉に奇跡を願いました。


近所のディスカウントスーパーのPBの猫砂がお気に入りで、東日本震災後、入荷できなくなった時は粗相が増えて大変でした。
あえてペットショップへは行かず、いつものスーパで籐編風の猫耳ベットが破格な値で売られていたので迷わず購入し、孫のおもちゃ置き場と化していたコンパクトベビーベットの上を片付けてその上に設置し予定通りの時間に病院へ迎えに行きました。


体を横たえたまま自力では動ける状態ではありません。
小さな花柄の紙おむつを付けて私の腕に戻ってきました。
あぁ、そうか、こう言うのも必要だったんだ... 病院で販売していないかを確認すると「少し分けてあげて」と獣医さん。
7、8枚程入れた袋を持たせてくれた看護師さん、感謝しかありません。


キャリーバックに入れ車に乗せても鳴き声もありません。
その足で孫を迎えに保育園へ、冷たい雨がぱらついていました。
スターターでエンジンをかけたまま大急ぎで孫を迎えに駆け込みました。


モカおかえり。
お家だよ。
もうずっと一緒だよ。
みんなも待ってたよ。
お留守番のニャンたちにも帰宅を知らせました。


時々左前足で砂をかくように小さく動かします。
点滴である程度水分補給されているからでしょう、おむつが濡れています。
猫の毛は水をはじかないので、下向きの体が濡れます。
体を拭いておむつを交換し、体の向きをかえます。
スポイトで水を口元に近づけても嫌がらないので1滴ずつ含ませると舌を動かし、ごっくんと喉を動かします。


モカの様子をうかがいながら早めに夕飯の準備に取り掛かり、交代で夕飯を済ませました。
夜遅く、長男夫婦が会いに来てくれました。


私はモカと夜を共に過ごそうと決めていました。
時々水を含ませ体を拭き向きを変えて... 深夜2時半を回る頃、睡魔に襲われます。
体も辛くなって来たので、モカの姿が見えるように大きなビーズクッションにもたれかかるもどうも落ち着かない。
モカをベットから降ろし小さなブランケットに包んで添い寝する事にしました。
遠くで暮らす我家の次男は来られない事をモカに伝えました。
私が下手に動くとモカの体が不安定になり前後の足をばたつかせます。


ごめんごめん...


排尿もあるし、数滴だけど飲込めるし、奇跡よおこれと祈りながら抱きしめ数十分
眠ったでしょうか、モカをビーズクッションに横たえ、私はトイレに立ちました。
その間にニャンたちがそれぞれ見舞っていました。
そうか... 私が付きっきりになるとお見舞いできないね。
モカをクッションに横たえたまま私はその横に座りました。
クンクン鼻を鳴らし近くにいた ニャン長女の ムクはその後、階段を数段上がったところで見下ろしています。
ニャン三女の メルはクッション横から香箱座りでこちらを見ています。
ニャン長男の ジロウはモカの左から右へぐるりと移動し、テーブルの下の隙間から覗き見できるような位置に落ち着きました。
モカにただならぬことが起こっている事は感じているのでしょう。
力強い3ニャンの視線を感じ、私の睡魔は飛んで行ってしまいました。
東側の窓が薄っすら明るくなって来た4時頃、おとん起床。
そのまま起きていると言うので、5時から7時迄寝かせてもらう事にしました。


孫の声が聞こえるいつもの朝、私が2Fから降りて行くと慌てて2Fへまっしぐらに走る モカの姿は見られません。
家に来たばかりの頃、爪切りやシャンプーをする私は モカの嫌われ者。
今お世話になっている獣医さんにニャンを一生懸命洗うなと言われ、シャンプーの回数が激減した今も条件反射の様に走り去ります。
階段ですれ違う モカの後ろ姿におはよう! が、いつもの1日の始まりです。
つい3、4日前までは。


静かに横たわる モカのふわふわの柔らかな毛並みを整え、モカを視界の中にいれながら1日過ごそう。
病院から頂いた紙おむつが残り1枚になったのでタイミングを見て買いに行かなくちゃ。
水の入ったスポイトを近づけても口は開けません。
それでも1滴2滴と口を湿らすと僅かに喉を動かします。


午前9時過ぎた頃から時々ため息をつくような呼吸が混じるようになりました。
ジロウの極度の貧血がみつかった時も同じような呼吸をしていました。
グーと唸るような小声が混じり始めます。
その間隔が短くなってきます。
9時30分頃、最期だろうと感じた私はとっさに モカを抱きかかえ、モカの胸にステート(聴診器)を当てました。
グーと小声を出す毎に心音が弱くなっていきます。
もう呼吸は止まっている様にも感じました。
それでも止まない鼓動、まだまだ生きたかったよね。
苦しくはないのだろうか... モカもう良いよ。
充分だよ、ありがとう、ありがとう。
あふれる涙を孫が拭ってくれます。
最期は私じゃない! 慕っていた娘の腕に モカを渡しました。
少し大きな唸り声をあげ、そのまま心音は確認できなくなりました。


4月21日火曜9時48分、モカは娘に抱かれ旅立ちました。
享年10歳7か月でした。
穏やかな優しい表情、立派に最期を遂げました。


19日の朝の嘔吐、夜になり気づいた異変、それから僅か2日、今思えばあれもこれも体の不調を伝えていたのかも知れないと悔いるばかりです。


一番長く過ごしたであろう おとんの部屋のベットの上に モカが眠るベットを置きました。
陽射しが モカを包みます。
ムクがタンスの上から見守っています。
1日の殆どを ムクが一緒に居てくれました。
夕方、ムクがリビングに降りて来たので、部屋が暗くなる前に モカも夜を過ごしたベットに移動し、おとんの帰りを待ちました。


お別れの日取りが決まり、おとんの部屋でおとんと最後の夜を過ごしました。


遠く空路で我家に来た モカ。
極端に外を嫌うのは余程怖い思いをしたからなのでしょう。
おとんだけが頼り。
ここ最近、気が付けば私のお腹の上で喉を鳴らしたり、警戒している孫になでなでさせてくれたり、ふとどうした? 嫌だ... まさか... と冗談に良からぬ事を口にしたにもかかわらず体調の変化に気づいてやれなかった事を私は忘れてはいけない。


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